UA-99019813-1

書斎

読んだ本のレビューを、三日後に内容を増すれてしまう自分のために書きます。あと君のために。

1984年 ジョージ・オーウェル

戦争は平和

 

もうこの文章自体で完全に論理が破綻している。おそらく現代社会(近代以降)に生きてきた人なら納得できない文言ではないでしょうか。

 

本著に出てくる恐ろしいまでの徹底した社会主義社会、というよりも社会主義の次の段階へ進んでいる政治形態・社会形態、の中で「党」が掲げるスローガンの一つです。

 

正直全く理解できなかったし、この語句は単にそれっぽい文を考えて作者が書いているだけだと思っていたけれども、頭が悪い僕は本の中でそれらしい説明をされると納得してしまった。

 

一言でいうと、この本は「そういう社会を描いた作品」って感じです。「そういう」というのは、私たちが共有している常識では到底納得できないような論理を突き詰めて、さらに論理的に完成しているように思わせる、ということを指します。

 

 

そもそも「社会主義」ってマルクスの『資本論』を完璧に読み込まないと理解できなさそうだし、たぶん実際そうだし、なんとなく中高の社会の授業で教えられて到底説明しきれていないであろう説明が、僕たちの知っている社会主義だと思います。

 

なので、この本を読めばなんとなく当時民主主義(笑)を謳っていた西側小説家が書いた社会主義を理解できるのかなと思っていましたが、この本で感じたことは本当に心の底から湧き出る恐怖のようなもの、ただそれだけでした。もちろんオーウェルが本著で描いているような世界が社会主義を極めた社会で現実のものとなり得るのか甚だ疑問ではありますが、そうなっても不思議はないなと思えます。この点でいうと、冷戦で西側陣営が勝利を収めたことに感謝しかない。

 

それともう一つ、「二重思考」という単語が作中によく出てきます。作品の中枢に位置する単語であり、その社会を成立させるには不可欠な思考方法なんですけれど、こっちの方は僕の頭にすっと入ってきました。

 

それはたぶん僕が現実に二重思考の技術を使っているからなのかもしれません。

でもこれは恐らく全員一緒で、なんらかの社会問題に対して僕たち日本人も二重思考を使って生きているのではないかなと僕は思いました。健全な民主主義の下で暮らしていると勘違いしているだけで、徐々に危険思想へ傾倒していっているのか。もしくは、もともと人間というのはそうした機能が備わっているのかもしれません。

 

人間というのは暴力から逃げることはできなくて、自由からは逃げ続け、最終的には「戦争は平和」だと信じて生きていくのでしょうか。

 

でもなぜか、そうであったほうが人間らしいような気がして不思議です。